高校野球は教育の一環なのか?

不可解な判定

県大会準々決勝の9回裏に事は起きる。右中間フェンス際に大飛球が上がり審判はフェンスを越えていないインプレイと判断したが、本塁打と判断した打者走者がアウトになったというものだ。

この事に抗議した時間が22分間だという事。これには伏線があり一塁塁審がホームランのジェスチャーである手を回したが、突如二塁塁審がインプレイとしている。

高校野球での監督の抗議は選手を通じてはいいが、直接は認められてはいない。しかしながらこの審判の判定はひどすぎる。一度ホームランのジェスチャーをやっといてのこの二塁塁審の不可解な判定。

監督は「突如判定が代わったのはなぜか?」という事の抗議をしたのだろう。だから22分もの時間になったのだろう。そもそも抗議した段階で審判が協議したのだろうか?協議すれば二塁塁審の判定がおかしいことくらいすぐにわかる。

しかし高校野球もビデオ判定が必要な時代になったのかと実感する。だが高野連はビデオ判定の導入には反対の立場。もしビデオ判定の必要な場面が来て、審判の判定が間違っていたら「審判の威厳がなくなる」事を恐れているのだ。

審判は神?

審判は高校野球では神だ。判定は絶対だし、試合も操作できる。その気になれば自分の応援する高校を勝たせることも可能だ。それも巧妙に。

ハーフスイングを特定のチームだけ厳しくとったり、ストライクとボールの微妙なところを特定のチームに有利にすることなど朝飯前だろう。プロなら抗議の嵐になるが、高校野球ではせいぜい新聞に叩かれるくらいで、実質的な影響は皆無だ。

教育上という便利な言葉

この学校の校長は「あのような抗議は教育上よろしくない」との理由で監督以下3人を解任した。解任された理由は今回の抗議だけではないのだろう。まだまだ問題が出てきそうだ。

しかし「教育上」という言葉は便利な言葉だ。過去には松井秀喜をすべて敬遠した時に高野連「勝負しないとは教育上問題がある」、「勝つことだけが目的ではない」という迷言を残している。

そもそも教育の一環と考えるのが無理がある。教育の一環と考えるのならスポーツ推薦と名を変えた特待生制度なんて論外だし、未だにまかり通っている根性論、精神論の指導も教育的指導とは言えない。

そもそも甲子園大会そのものが利権の塊。朝日新聞NHKがボランティアの一環でやっているのならともかく、そんなことはない。この大会で表裏問わずものすごい大金が動いているのは間違いない。高校生をダシにして金儲けをしておいて「教育上」とは片腹痛い。