飲酒運転はなぜなくならないのか

厳罰化しても効果なし

昨日の夜飲酒運転でまた幼い命が失われた。夫婦そろって酒を飲んでいて旦那の運転する車が信号の支柱に激突して1歳の子供が死亡した。

旦那の呼気からは基準値の2倍のアルコールが検出されたという。飲みに行くのはいいと思うがそれは大人同士の話であって1歳の子供を連れて行くのは非常識だ。まして車で行くのはもってのほかだ。

この夫婦は親と言う自覚はなかったのだろうか。これだけ飲酒運転が厳罰化されている中でのこの行動はおかしい。

「見つからなければいい」と言う考えがこの事故を生んだのだろう。警察もキャンペーンのような取り締まりをやるくらいならもっと実効性のある取り締まりをやるべきだ。

実効性のない取り締まりをやる背景にあるのが、警察が否定しているノルマにあるのは明らかだ。ノルマがないのなら、なぜ隠れての取り締まりや軽微な違反をこんなにも必死に取り締まるのか。

実際に切符を切る前に考えてほしい。警察官には「警告、注意」と言う処分も認められている。摘発したから必ず検挙しなくてはならないという決まりはない。

しかし現実は「警告、注意」は機能していない。その原因はノルマだ。飲酒運転は厳罰に処すのは当然だ。これに異論をはさむ余地はない。

だが流れに沿ってのスピードや一時停止などの軽微な違反は「警告、注意」にするべきではないか。私も一時停止で警察に止められたことがあるが、この時は納得いかなかったのでとことんやりあった。

その時警察に聞いたのが

1、停止時間は何秒だったのか?

2、左右確認したのを見ていなかったのか?の2点だ。

「停止時間が甘い」とのことを言われたので1のような質問をした。この基準がないと警察官の主観によってきまってしまうからだ。ある人はOKである人はダメだと公平でないからだ。

2もちゃんと停止していなかったからという事に対しての質問だ。この警官は停止にだけにとらわれているようだったので「左右確認は見たのか?」といったら「見ていない」との事。そこで私は「停止して左右確認する事が重要であって、止まった時間ではない」という事を主張した。結果どうなったかと言うと警告で済んだ。

明らかにこちらに非がある場合は仕方ないが、納得できないことはとことんやりあうのも手段の一つだ。

だが飲酒運転は言語道断だ。これはどうあがいても納得させる主張はできない。しかしテレビでは言い訳にもならない主張をしているのを見かける。飲酒運転は事故を起こしたら大事故になるのがほとんど。まず確実に死人が出る。

飲酒運転の事故でも被害者の損害については保険が支払われるところもある。だが基本はそんなことはやらないというのが原則だ。逆の立場になったらどう思う。法律違反をやっておいて保険を使いたいと言われたら気分は良くないだろう?

飲酒運転をする人の心理

「俺は今まで飲んで運転しても事故を起こしたことがないし、捕まってもいないし捕まるのは馬鹿だ」と言うのが飲酒運転をする人の心理だろう。

だがこの言葉の裏には「事故は起こしたくない、捕まりたくない」と言うのが見え隠れする。だったらやらなければいいのにと思うが「タクシー代がもったいない」というのがあるのだろう。飲酒運転をやる人の理由なんてこんなものだ。

タクシー代、代行料金と事故を起こすリスクとを天秤にかければどんな人でもわかるだろう。このカネを出し惜しむことで一生を台無しにした人は大勢いる。運転者本人だけでなくその家族も一生を台無しにされるという事が自覚できればこんなことはできない。