21歳の若者が50代の男性を突き飛ばし死亡させた事件

この若者一人の行動が家庭崩壊に

21歳の解体作業員の男が突き飛ばして重体になった50代の男性が搬送先の病院で死亡した。21歳にして彼の人生は終わった。一時の快楽のためにすべてを失うということを地で行っている。彼に一生つくのは殺人者というレッテル。いくら業務上過失致死といっても一般的には殺人犯として認識される。

彼が生まれも育ちも天涯孤独だったら別にどうでもいいが、大抵の人は家族や身内がいる。殺人に限らず犯罪を犯せば親戚津々浦々に迷惑がかかるという事がわからないのだろうか。

実際宮崎勤の事件後に彼の家庭だけにとどまらず、親戚も家庭崩壊したという。殺人者の身内ということで職場を追われ、結婚も破談となったり、最期は自ら命を絶ったりしている。

人間は見た目じゃない、見た目で人を見るのは最低だと言うが彼の映像を見て思ったことは、「人はやっぱり見ため」だということだ。

ワイドショーで出るコメントは「あんな礼儀正しい人が・・・」とか「あの人が・・・」とかが多いから人は見た目じゃないというのが独り歩きしたのだろう。

決して「やっぱりやると思った」と言うコメントが出ることはない。

反省しても罪は消えない

彼はおそらく裁判になったら「殺すつもりはなかった」とか弁護士は「まだ若いので更生させるためにも寛大な判決を」とかしまいには「精神耗弱で善悪の判断がつかない」と言い出すだろう。

弁護士は弁護人の利益のために働くのでこのような主張になるのは致し方ない。むしろ素晴らしいと思う。

だが「殺すつもりはなかった」というのはどういうことか。ではどんなつもりだったのか?と言われるのは当然だ。今まで「目が合った」と因縁をつけ同じようなことをやっていたのだろう。だから今までと同じ感覚でやってしまった、とは言えまい。

遊びのつもりだった」「ゲームだった」というイジメ加害者側の理屈と同じだ。

ということは、この21歳の若者は頭の中は中学生並みだったということ。今から反省しても罪は消えないし、人を殺してしまったという事実は消えない。

若者に限らずどの世代にもいる

このような事件が話題になると識者は最近の若者は~、ネット社会が~とか言い出すがこのような事件は戦前を含め昔からあることだ。むしろ昔のほうがひどかったのではないか。特に団塊の世代の頃が少年犯罪の多さのピークである。

「その時代は貧しかったからと、生活が苦しかったから仕方ない」という言い訳が出るが老人が万引きなどの犯罪を犯すと同じ言い訳を言う。このような言い訳が通ると思っている。

犯罪を犯す団塊の世代の感覚は少年時の感覚そのもの。それでいて「年長者を敬え」と言う。この世代は上の世代の人口が少ない時代。なぜならば戦争で戦地へ行き戦死したからだ。自分たちが一番できた彼らこそ年長者を敬うということがないのではないか。

「人間死にさえしなければ歳だけはとる」