元横綱日馬富士書類送検についての件

有名人は逮捕されない?

日馬富士の暴行問題は誰もが知るところだろうが、相手に重傷を負わしときながら書類送検で済むのはおかしいのでは?

もし一般人が「会社の後輩の態度が悪いからしつけの一環で叩いた」という供述を警察にしたとすれば、間違いなく逮捕されて身柄を拘束されるだろう。

それに力士の腕力を考えると「叩く」こと自体凶器になる。もしボクサーが相手を殴ったとすれば「パンチ」は凶器とみなされる。この差はいったい何なのか。

書類送検にした理由はいったい何なんだろうか。「引退をしていて社会的制裁を受けている」というのは理由にならない。では一般人が会社を辞めれば書類送検で済むのか?絶対にそんなことにはならない。

法の下の平等は形骸化

法の下の平等を謳うなら力士だろうが何だろうが厳正に法を運用すべきだ。あの人はいい、この人はダメでは警察及び検察のさじ加減でどうにでもできるという事になる。

書類送検で何か不利益を被るのかと言えば、実質的には何もないに等しい。これでは被害者は何も得るものがないしケガをさせられただけになる。

これから同じような傷害事件がないとは言えない。もしあっても「日馬富士書類送検で済んだ」という前例があれば有罪という判決はないに違いない。

このように有名人が起こした事件は警察も及び腰になる。それはなぜなのか?昔に某有名人が人を轢いて相手が死んでしまった。ところがその有名人は書類送検で済んだ。一般人なら逮捕されて拘束されて交通刑務所にぶち込まれる一件だ。

書類送検で済んだ理由は夫の親族に元総理大臣がいたこと。またカネを一括で払ったからと推定される。

プロ野球選手の覚せい剤使用も、ある人は実刑、ある人は執行猶予では平等ではない。それならば東南アジアのように死刑にすればいい。これで平等になる。

人によって法を恣意的に運用する司法はおかしい。

マスコミの報道も一因?

マスコミがこれはネタになると思って話を大きくしたこの問題。これもこの判決に寄与している。司法は企業の不正は別として、有名人の事件は大きくなることを嫌う。あまりにも注目されると「通常の判決でも、世間的には重い判決に見える」。そのため司法に対する批判を避けるために寛大な判決にする必要に迫られるのもその一因だろう。

 

 

 

 

私が出会った身勝手な人々

私は運送のドライバーをしている。毎日走っていれば、いろいろ変わった人に遭遇することも珍しくない。どの一例を紹介しよう。

俺がここに入るからお前はよけろ

あるところで私は荷物を降ろしていた。そこに4トントラックが入ってきた。そのトラックのドライバーのいった言葉に私は唖然とした。

「俺はいつもここに止めているんだ!だからお前はよけろや!」

私も思わず「あ?後にきて何言ってんの?馬鹿じゃねえの?」

と言ってしまった。それから相手は「ふじこふじこ」と訳の分からないことを言い出した。しまいには「俺のバックがどこか知っているのか?」とまで言い出す始末。

私は「今日初めて会ったやつのバックなんて知らねえよ、そんなにお前有名人なの?(笑)」と言ったら逆上して胸ぐらをつかんできた。

その後は淡々と警察に連絡して後はお任せした。後から「被害届を云々」とあったが完全無視。

「世の中舐めてんじゃねえよ」という事を言って電話を切ったのはいい思い出。

免停中に運転して事故を起こしたやつ

ある日プライベートで車を運転しているときにぶつけられた。その時の相手の一言。

「俺免停中なんだよね~。だから連れが運転したことにしてもらえる?」

「お前、友達に罪擦り付けんのか?最低だな!」と言ったら「お前に関係ないだろ!いう事聞かないと俺のバックが黙っていないぞ!」

と言ってきた。本当DQNって「俺のバック~」って好きだねえ。と感心してしまった。しっかりこの一部始終はドラレコに録られていたので警察に提出。警察にドナドナされていった。しっかり車は直してもらった。

このような輩は本当に多い

私はもういい年だがら「こんなオヤジチョロイ」と思っているのも多いだろうが、こっちは伊達に長い人生を生きているわけではない。数々の修羅場も潜り抜けてきている。

最近の若いのは「オヤジのくせに」とすぐに言うが、こっちからすればただの「クソガキ」に過ぎない。

あまり舐めた態度を取っていれば大やけどをするという事をわかってほしい。あまりにもオイタが過ぎると取り返しのつかないことになるのを覚悟していてほしい。

周りはすぐに「大人げない」と言うが、大人の厳しさを教えるのも大人の役目ではないかと私は思う。ハッキリ言って今の20代から30代はまだガキだと思うのが私の意見だ。

 

 

話し合いで解決するという幻想

話し合いという武器

北朝鮮との問題を抱えている我が国日本。日本の美徳と言うと「和を以て貴しとなす」という話し合いの文化が特徴だ。

だが「話し合い」、「話せばわかる」というのは「相手が話し合いに応じる」という前提でなければ成立しない。2.26事件で暗殺された犬養毅氏は「話せばわかる」と言い、その瞬間青年将校の銃弾に斃れた。

「話し合い」に応じない相手に「話し合おう」と言っても無駄という一例だ。^

今の北朝鮮も同じ状態だ。対話という名の話し合いを求めても、話し合いに応じない相手に呼び掛けてもただの徒労に終わる。だから武力の行使をちらつかせるのだ。

ミサイルを日本の上空を通過されても「話し合い」で解決するというのがベストなのか?経済制裁にしても「北朝鮮の一般市民には罪がない」、「人道的に云々」などと言っていた人は今回日本に来た「不審船」については一切コメントできないだろう。

一般社会でも話し合いというのは妥協

一般社会で話し合いというのは妥協以外何物でもない。日本の裁判で「和解」というのがあるが、これは「この辺で妥協しませんか?」という呼びかけに「承諾した」という事を意味する。西洋では勝ち負けだけでそのような中間というのはない。

話し合いというのは当然双方の言い分がぶつかる真剣勝負の場だ。だがその話し合いというのは「初めから落としどころを探っている」というのが実情だ。

左翼は話し合いが大好き

戦争という事態は回避しなければならないが、何でも話し合いというのは国内だけで通用するものという事を認識しなければならない。

今回の北朝鮮は明らかに問題がある。だが左翼は日本が悪いから北朝鮮が問題を起こすという論調に終始している。なぜこのような考えになるのか理解できないが、日本が侵略戦争を起こしたからという誤った認識にあることは明らかだ。

当時の国際常識を今の感覚で言うのはおかしい。当時の国際常識は欧米列強が植民地支配をするのが当たり前の世の中であり、日本もそれに倣ったに過ぎないからだ。

それを「他の国がやっていたからやっていいのか」とか「ではほかの人が泥棒をやったらやっていいのか」という幼稚な議論にすり替える。その話し合いというのは向こうの言い分をベースに行うものであり、日本の言い分をベースにするものではない。これでははじめから話し合いにはならない。

 

 

 

人手不足で困っているという企業に一言

自業自得

ハッキリ言わせてもらうと人手不足になることはわかっていたことであり同情や気の毒とは思わない。

いま企業では40代前半の社員が不足していると言うが、採用しないもの当たり前だ。今の40代は「就職氷河期」と言われていた時代に新卒採用に漏れた人も多い。そして不本意な職に就いている人も多い。

その当時は「会社が危ないのに新卒など採用できない」と言っていた企業が今、人手不足で悲鳴を上げている。ま、自業自得だ。当時40代だった社員が定年で去るというのはわかっていたことだ。

その当時は「買い手市場」と言われていて、優秀な人材=国立大学か有名私大という事で縛りそれ以外は認めないという偏った考えにとらわれていたのが原因だ。

その結果として会社側は尊大な態度を取るようになった。「お前らは会社に採用してあげた人材」という高飛車な態度を取るのは当たり前、サービス残業の強制、ブラック企業の増大を招いたのもこれが原因だ。

この事は表に出さず、「人手不足で困っている」という事だけを強調する企業には嫌悪感しかない。そんなに人手不足で困っているなら定年制というのを廃止すればいいだけ。なぜ企業はやらないのか。

「世代交代ができない」という仰々しい謳い文句をいうが、そもそも世代交代をできる状況ではない。企業の不正が横行しているが、この40代の人手不足とは無縁ではないだろう。40代の人数が少ないという事は採用された人は「エリート意識の塊」であることが挙げられるし、人数が少ない事と上の世代の大量退職でポストが大量に空き実力以上の役職がついている人も少なくない。当然技術の継承もできていないので中途半端になる。

これはこの40代も問題があるが、会社側の問題が大きい。技術を継承させるのならばある程度の人数は採用しなければ無理な話だ。ところがこの世代の採用を絞ったために今の状況がある。

今の20代は優秀なのか

今の20代は優秀だというが果たしてそうなのか?確かにパソコンを使えるというのはある。だがそれは20代であるのなら当たり前だろう。

世代間ギャップというのはあって当然だが、なんでも「今の20代は優秀」というのはちょっと違うと思う。優秀の定義がどのようなものなのか?仕事ができる、社会人としてのマナーや礼儀が完璧、人柄もいいという人が定義とすれば、そんな人は0.1%以下の確率だろう。

人間とは不完全なものであるから人間なのだ。100%な人間がいたとすればそれは嘘という事に間違いない。

 

 

 

 

 

EV普及と電力問題

EVを普及によるデメリット

2049年までに内燃機関を廃止する動きが世界各国で広がっている。地球温暖化防止の名のもとにEVを普及させる狙いだ。

だがそれによる事によるデメリットを提起する人は少ない。そのデメリットとは何か?

今迄ガソリンからとれていた税収が減るという事だ。

ハイブリッド車が普及したことによりガソリンの販売量は減少している。ガソリン価格が下がらないのは減った分を価格に転嫁しているのではないかと疑ってしまう。

EVが普及すればさらにガソリンが売れなくなる。というよりガソリン自体が不要になる。そこで政府が考えているのが、走行税導入だ

車を持つものに公平に税負担をしてもらうという理念自体はわかるが、走行するのは車だけではない。自転車もそうだし、究極は歩行者も道路を利用している。その前提に立てば国民全体で負担するのが筋だろう。

私は2040年までに内燃機関を廃止する必要性はないと思う。その理由としてガソリンスタンドに代わる充電スタンドの整備が間に合わない事とガソリン車と同等の走行性能、耐久性、信頼性に疑問符が付くからだ。

現在電気自動車が普及しているのはどちらかと言えば温暖な地域だ。今でも冬になったらバッテリーが上がることがあるのに、日本のような冬はマイナス25度以下夏は34度と気温の変化が激しい地域には不向きだと思われる。日本で普及するのは中国、九州沖縄地方という非常に限定的なものになるのは明らかだ。

原発の問題との整合性

EVは排気ガスを出さないから地球にやさしいというのは間違いではない。だが原発が止まっている今、EVが普及すれば電力の供給が追い付かなくなるのは明らかだ。

そのために原発を稼働させると言えば、原発反対の団体は猛反対するのは決定事項だ。

地球温暖化原発の問題どちらを優先するのか?

地球温暖化を防止するのならば原発はクリーンな発電だろう。だがひとたびことが起きてしまえば悲惨な事が起こるのは私たちは経験済みだ。

EVは高くつく

電力の問題もそうだが、EVは高くつく。その理由として車両価格が割高な事と修理という事になれば対応できる修理工場、整備士がいないことがあげられる。

基本的にEVを販売するのはデイーラーになる。という事は整備できるのは販売店のみという事になる。町にある整備工場は倒産という憂き目にあうだろう。

車両価格も現在のガソリン車よりも2倍以上高くなる。この状態で2040年までにEVに転換させるのは不可能だろう。まだ20年ほどあると思っているだろうが20年なんてあっという間だ。

 

 

 

 

 

「個性を伸ばそう」という風潮は疑問

個性を伸ばす?

個性を伸ばすといわれて久しいが、そもそも日本は個性を伸ばすという風土ではない。個性を延ばすというのを本当にやろうと思うのなら、まず教育を変えなくてはならない。現状の教育では、できる子もできない子も同じカリキュラムで進むことを求められる。できない子はそれでもいいが、できる子にとっては時間の無駄である。

これこそが個性を伸ばすという事から逆行している。個性重視で行くのなら飛び級というのも検討しなければならないのではないか。

事実戦前は日本にもあったし、外国では普通に小学生が大学に合格して大学に通っているという実例もある。ところが日本では戦後に飛び級は廃止された。

その理由は何か?アメリカが日本人が優秀なのは日本の教育が原因だ。それを削ぐには教育を破壊して愚民化させるのが手っ取り早いという理念からだ。

ハッキリ言って今の教育制度で「個性を伸ばす」というのは無理だ。左翼思想と日教組が幅を広げている今の教育ではできるわけがない。彼らは「平等、自由」というのが理想であって個性を伸ばすといったら、平等に教育が受けられないと言い出すのは明らかだからだ。

そもそも平等というのがおかしい。勉強のできる子、運動のできる子といる段階で平等でない。それに日本は協調性という名のもとに団体行動を重視する国であることも個性を伸ばすというのが定着しない理由だ。人と違う事をやっていたら「協調性がない」と言われる。みんなと同じようにやるのが評価されて、違ったことをやれば問題児扱いとなれば個性が伸びる社会になるわけがない。

大谷翔平は「非常識」なのか

個性を伸ばした特殊なケースと言えば「大谷翔平」だ。いまでこそ「個性を伸ばした結果」と言われているが、最初の時を覚えているだろうか。

「投手と打者の両方なんてできるわけがない」、「プロをナメている」、「投手一本にするべき」など非難轟々だった。これは評論家だけでなくマスコミも一緒だ。

ところが結果を出し始めたら、「これが個性を伸ばした結果」、「できると思っていた」など手のひらを返した。これが失敗したら「それ見たことか!」と言っていたんだろう。

彼らは失敗しろと願っていたのは間違いない。これが日本で「個性を伸ばす」というのが浸透しない原因だ。

「今迄の経験上できるわけがない」という固定概念があるからだ。要は既得権益を持っている人が困る事態になるのを回避するために「個性=非常識」という印象操作をしているのだ。この際日本ハムというチームも非難の対象になったのを忘れてはならない。

大谷は日本ハムという指導者に恵まれたというのは間違いない。だが一般社会に個性を伸ばす指導者がいるのか?指導者がいなければ個性を伸ばすことはできない。指導者を育成することが何よりも急務ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

今日の話題ピックアップ➡浅野忠信の父親が逮捕

浅野忠信の父親が覚醒剤で逮捕

俳優浅野忠信の父親が覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕された。職務質問からの尿検査によって逮捕に至ったとのことだが、業界ではだれもが知っている話であって、驚くこともなかっただろう。当然警察も内偵を続けていて「今だ!」というときに職務質問をかけたのだろう。

浅野忠信の父親は、息子が有名になったから個人事務所を立ち上げて社長をやっていたというわけではない。彼はかつて石倉三郎のマネージャーをやっていたのでこの業界は全くの素人ではない。

芸能界に長くいればその筋とに関係は切っても切れない関係になる。もちろん表立ってその筋という事はみじんも出さないし、会社同士の付き合いというのを演出する。その線から覚せい剤を入手したのだろうというのは容易に想像がつく。はたして彼は嵌められたのか?表が華やかな芸能界は、裏はドロドロした世界と聞く。この事務所をつぶすという意思を持ってやったのか?それとも浅野忠信個人に対するものなのか?その真相は表に出る事はないだろう。

これから浅野忠信は父親をどうするのか?

清水良太郎をはじめ、有名芸能人の息子が逮捕されるという事はあっても親が逮捕されるというのは異例だ。清水アキラは息子を事務所から解雇したそうだが、父親が事務所の社長である以上一所属俳優がクビにはできない。役員であるのならば解任動議を出し決を取るという方法もあるがそれは難しいだろう。この社長だからこの世界で生き残ってこれたという側面もあるからだ。

私が思うのは内部クーデターによる外部からの事務所乗っ取りだ。当然社長であるのだから、厳しい面があって当たり前だ。だが事務所を私物化していたとすれば話は変わってくる。そこで外部の人間から覚醒剤を与えて既成事実を作り警察に逮捕させる。そして自分から社長を辞職するような方向にもっていく。そうすれば後は外部から新社長を迎えれば計画は完了だ。

そして業務提携という形をとっての吸収をする。この事に対するメリットは何だろうか?浅野忠信はもちろん加瀬亮三浦貴大という所属俳優を丸抱えできるという事だ。

息子が謝罪する必要性があるのか?

仮にも事務所の社長であるのに息子が謝罪する必要性があるのだろうか?これは当然というのなら、一般企業でも社長が逮捕されたら社員が謝罪しなければいけないという事になるのではないか。

それにしても今回マスコミはなぜ「社長が逮捕されるなんてこの事務所はどうなっているんだ!」という論調にならないのはなぜなのか?これが一般企業なら神戸製鋼や日産のように攻め立てるのに…。

それはあまり批判したら所属俳優を出演させることができなくなるという一点だろう。かつてSMAPのメンバーが逮捕された時に「容疑者」という所を「メンバー」と言った事があったのがあるが、これはテレビ局のさじ加減で決まってくる。公正中立の報道を標榜しているのならばこのような事はあってはならない。批判するのも公正中立な報道を望む。