上下関係と主従関係は違う

馬鹿な上司が多い

管理職になると当然部下ができる。有能な人ならうまく使いこなすことができるが、馬鹿な人がなると困ったことになる。

特に体育会系や上下関係が厳しい学校を出た人はその傾向が強い。売り上げが達成できなかったら「気合が足りない」、「根性がない」と言う精神論でどうにかなると思っている。そのような人に限って「具体的にどうすればいい?」と聞くと逆切れして、ひどいのは暴力に訴える人もいる。その暴力の理由も「気合を入れるため」と自己正当化の極みと言う愚かさだ。

上下関係と主従関係の違いを分かっていない人のやりがちなことだ。上下関係とは上司と部下の関係であり、主従関係とは雇用主と従業員の関係だ。

これを混同すれば上司は勘違いをする。「部下を生かすも殺すも俺の考え一つ」と自分を雇用主のように思ってしまう上司の多いことと言えば枚挙にいとまがない。しまいには人事権もないのに「お前クビ」と言い出すのもいる始末だ。

その上司だって雇用主から見れば主従関係という事を忘れている。こんなことが発覚すればそれこそ「お前クビ」と言われるのは上司の方になる。

この本質的な原因とは?

現ロサンゼルスドジャース前田健太投手がPL学園時代の事を言っていた。

1年は奴隷、2年は平民、3年は神という事。高校時代に丁稚奉公みたいなことをやらされたら精神的におかしくなってしまう。1年や2年先に生まれただけでこんなにも扱いが違うというのは一体どういうことなのか。これが根本的におかしい。

日本人は「石の上にも三年」など我慢して耐えるという事が美徳と思っている。だが我慢したところでそれが報われるかという事は全く違う話だ。それこそ性格の悪い上司に当たれば、その上司のいる間は飼い殺しになり最悪は不当な評価をされてクビにされることもあり得る。

私は精神論が嫌いだ。努力は必ず報われるというが、それを言うのは報われた人だ。同じ努力をしても報われない人もいる。だがその人は報われなかった人に対して努力が足りないと言う。結局のところ報われるかそうでないかを左右するのは運以外にない。

精神論の上司はそれなりに努力が報われ、運もあった人なのだろう。

だからと言って自分がそうだからと言って部下にそのやり方が合うかどうかはわからない。だから「気合、根性」と言う言葉でごまかすのだ。

要するに基準は自分なのだ。「今の自分があるのはあの時苦しんだおかげ」と自己暗示にかかっているにすぎない。

 

 

 

 

 

 

自転車の取り締まりって実質機能していないよね?

車VS自転車

ここ最近交通トラブルが多発しているが、今回は自転車の問題について書こうと思う。車が自転車と事故を起こした場合どんなに自転車側の過失が大きくても車が悪者になる。

その理由とは何か?「自転車は弱者だから」と言うのが警察側の理由らしい。弱者?自分勝手に信号無視をし、逆走をしているのが弱者なのか?

自転車は分類上軽車両になる。という事は左側通行をすることは当たり前だし交通法規も守らなければならない義務が生じる。それに子供だから、老人だからと言う理由はあり得ない。

それがまかり通るのなら未成年や老人が車で事故を起こしても罪に問われないことになる。

自転車がきっかけになり車が死亡事故を起こしても車が悪いという判断が下される現状の法律はおかしいと思う。車にだけ「かもしれない運転」を押し付け、自転車は野放し状態。警察が自転車を止めているのは盗難自転車かどうかの確認のためだけで、取り締まりはやっていない。

道路交通法違反は車だけに適用されるものではない。道路を使用するすべての人に適用されるべきだ。もちろん歩行者もその対象だ。

自転車のモラルが低下と言うが「無い」に等しい

自転車の事故が減らない原因は交通教育の不徹底にあるのは間違いない。自転車も車両の一つであるならば、守るべき信号は車用の信号だ。ところが自転車は都合によって歩行者の信号を使う人が多い。これを警察はなぜ取り締まらないのか?

自転車に乗っている人が歩行者と接触しても「ごめんなさい」で済むと思っている人の多さにも驚く。しまいには逆切れして「大したことないのに大げさだ!」と威嚇する人もいる。

最近こそ自転車の車両保険もあるようになったがほとんどに自転車は無保険車と言っていいだろう。この状態で歩行者にけがをさせたら、最悪は死なせたらどうするのか?

先に書いたように逆切れでもするのか?自転車は罪に問われないとでも思っているのか?この自覚のなさが自転車がらみの事故が減らない原因だろう。

現実的にはどうすればいいか

免許制にするという方法もあるがこれは現実的ではないだろう。それよりも車の自賠責のような強制保険に加入しないと自転車を購入できないようにすればいい。ICチップを導入すれば所有者の情報もすべて把握できるし良いと思うんだが…。

警察側の問題も山積している。春夏秋冬の交通安全運動があるが車の軽微な違反ばかり取り締まらないで、自転車の取り締まりを強化すればいいのではないか?

なぜ実効性がないのかと言えば面倒からだ。交通違反反則金は警察が自由に使えるカネだ。免許証で個人が特定できる車と違い自転車は免許制でないため個人の特定に時間がかかるのを嫌っているのがまるわかりだ。そんな面倒なことをするくらいなら軽微な違反を捕まえて上司の覚えがよくなる方がいいと思うのも当然だろう。

 

 

 

 

 

 

会社の人間で性格に難がある人っているよね

私が経験した会社の人間

私はいろいろな上司を経験してきたが、今考えればよくこのような人とやれたと思うほどだ。

・レジのカネが足りないのを部下に押し付ける上司

ある日レジを締める時に20000円の不足が出た。たいてい不足の金額と言うのは端数が出るのが普通だ。ところがその日は端数の出ない金額。さらに20000円と言うあり得ない金額。釣銭を渡すときに重なっているのを渡したとしてもあり得ない。この時その上司は「俺は間違いなんてしない」と言って「お前が間違えたからお前が弁償しろ」と言い出した。その時私は世間知らずの新入社員。言われるがままに払ってしまった。だがその上司は「あいつがこんなことをした」と会社中に言いふらした。

翌日私はその上司がキャッシングをしている場面を目撃した。そこで私は確信した。この上司はキャッシングのカネを払うのに私をはめたんだという事を。しかしレジ金の番号を控えているわけではないので証拠がないので私は何も言えなかった。

だが別々の店にお互い転勤となりしばらくたって私もそんなことも忘れていた。ある日「○○さんクビになったらしいよ」と言うことを同僚から言われた。その上司は味を占めて私にやったことを再びやったという。だが今回はごまかすことができなかったようだ。余罪が出てきてあえなくクビに。自業自得、因果応報ってあるんだなあと思った新入社員時代の話。

・結果を出したのに文句を言う上司

ある時私が担当した仕事がかなりの売り上げを上げた。それで店長から褒められたのだがそれが上司の気に障ったらしく「勝手なことやって、結果を出したつもりでいるだろうが俺は認めない。」と言い出した。しまいには「結果だけじゃない。そのプロセスこそが大事だ。」とわけのわからないことを言い出す始末。

今考えれば単に嫉妬していたのだろう。自分の立場を脅かすものは潰しにかかるという実に偏狭な上司だった。その上司も人員整理の対象となりその会社を去っていったらしい。

私は今40代だから、上司は当時30代としたら今は60代だろう。ちょうど団塊の世代に当たる。いまキレる老人が問題になっているが、このような上司に囲まれて若い時を過ごしてきた私は今のこの状況は「きわめて当然」と言わざるを得ない。

この上司だけにとどまらず、その会社はこのような人間の集まりだった。販売業は表向きは礼儀正しいと思っている人も多いと思うが、ひとたび裏に行けば口は悪いし客の悪口も平気で言っている。礼儀正しいのは上辺だけ。その真実は性格に問題のある人間に集合体という事だ。当時と今は違うと私は思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

DQNが増殖中➡DQN注意報発令!

DQNが多すぎる

東名高速の事件から連日のように交通トラブルの事件が報道される。このようなことは昔からあったが最近はその傾向が顕著になってきている。

それも20代~30代手前位なら多少わからなくもないが、50代になってまでもそんなことをやっているようでは人間としての品格を疑わざるを得ない。これは今の世の中のあり方に問題がある。個性を重視しよう、自分らしく生きようという風潮だ。

この考えはもともと西洋的な考えであり日本にはなじまない。個人主義の西洋と違い、日本は和を以て貴しとなすという国だ。

日本は西洋の考えを盲信する傾向にある。確かに西洋のものは優れているものもあるがそのまま導入してもうまくいくわけがない。日本は西洋のものを日本風にアレンジするのが得意なのであって、そのまま導入するのは無理な国民性だ。

しかしながらDQNはそのようなことを考えずに西洋のものはすべて正しい、日本のは時代遅れという間違った認識になる。そして表面上だけ西洋人の真似をする。

西洋人の考え方とは謝ったら負け、自分が間違っていても決して謝らないということ。これが極まると正義は自分だけ、自分が一番偉いという発想になる。

日本人らしさを取り戻そう

このような日本人を西洋人が見てどう思うのか?おそらくは「俺たちの真似をしている奴」という認識しかないだろう。確かに世界的な標準、いわゆるグローバルスタンダードと言うのはあるが日本人らしさをなくしてしまうことはない。

日本人らしさとは誠実、嘘をつかない、礼儀正しいという事だ。このようなことは世界を相手にすると不利と言われる。だがこれで世界の信頼を獲得していったのもまた事実だ。

DQNは自信がない?

このような事故を引き起こしたDQNの言い分は「抜かれたのに腹が立った」、「注意されたのが面白くなかった」と言う些細な事。こんなことでいちいち激高していたらいつも怒っていなくてはならない。

全てにおいて自己中心的で他の考えは受け付けない。これは裏返せば自分の考えに自信がないという事だ。

このような人間に巻き込まれてしまったら不運としか言いようがない。だがこのような人間は常習的にこのような事件を起こしている。迷いなく警察に通報するのが最善の手だろう。間違っても車の外に出てはいけない。

 

 

 

 

東名高速の事故➡犯人は人を見ている

注意されたのが面白くない?

6月に会った東名高速の事故で追い越し車線に車を止めさせた男が逮捕された。パーキングエリアの導入路をふさいでいるのを注意されたことに激高しての犯行だそうだ。

理由が注意されたことに腹が立ったとのことだがこれは言い訳になるのか?

では「いかにもその筋の人が乗っている車でも同じことをやったんだろうな?」と犯人に問いたい。それでもやったのなら言い訳にもなるが、そんなことはないだろう。

「家族連れのくせに…」と言う判断があったという事は想像に難くない。要は自分より弱そうな人にしか吠えることができない小心者なのだろう。

最近は「追い抜かれたのに腹が立った」などどうでもいいことでキレる人が多すぎる。追い抜かれるのは自分が遅いか、車の性能の差でしかない。

このようなことで問題を起こす輩は自分より強いものに向かっていくことができないやつだ。自分が偉いとでも思っているのか。

それに外見だけで判断する危険性という事をわかっていない。外見は温厚そうな人が実はその筋の人だったという事は枚挙にいとまがない。いかにもその筋の人と言う人は今は少なくなっている。車にしても必ずしも高級車とも限らない。

このようにキレる人は一度痛い目に合えばいい。そうしないとわからないだろう。

この事件は氷山の一角

このような事件は全国的に見ればまだまだたくさんあるだろう。いかにそのようなドライバーが増えてきたという事を物語っている。

このようなことになるのはほんの些細な事、どうでもいいことが原因だ。精神年齢がお子ちゃまなのだろう。

このようなことが多くなってきて売れているのがドライブレコーダーだ。この映像は決定的な証拠になり、言い訳もごまかしもきかない。本来の事故を記録する目的もあるがトラブルの一部始終を記録できるのが購入の動機だろう。

トラックの運転手も気の毒だが…

トラックの運転手も気の毒に思う。追い越し車線に車が止まっているのは想定外であっただろうから「前方を見ていれば避けれた」と言われても難しいだろう。

しかしトラックは重大なミスをしていたのもまた事実だ。それはトラックは追い越し以外で追い越し車線を走行できないという事。基本的にトラックは走行車線をキープしなければならないという事を守っていなかった。

これによって運転手の立場はかなり弱くなってしまった。だがこの違反を差し引いても情状酌量の余地はある。もっとも罪が重いのは走行車線に車を止めさせた犯人だ。刑事事件では業務上過失致死でしか裁けないが民事ではどうなるだろう。残された2人の子供のためにもしっかりやってもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

庶民感覚とは?

もともと庶民でない人の求めるのは酷

今は衆院選の真っ盛りだが、政治家は庶民感覚が大事と言う人がいるがもともと庶民でない人に求めるのはおかしいだろう。

大体選挙に立候補するだけでも莫大な資金がいるのに立候補する人が庶民でないのは明らかだろう。ほとんどが二世議員かその奥さんかタレント。バックアップする人が大勢いるし資金もある。このような人でないとどんなに理想や政策があっても政治家になることは無理だ。

本当の意味での庶民が立候補できないのが今の選挙だ。「それは平等ではない」という人は必ず出るが、生まれた命は平等だが、生まれた家は平等ではないという事がわかっていないのか、もしくはわかっていても無視しているのか。

そんなに平等という事にこだわるのであればみんな東大に行けるはずだし、みんな大谷翔平みたいになれるはずだ。このことは触れないで平等という言葉を使って言葉遊びをしているにすぎない。

庶民感覚で政治をやれるわけがない

政治には庶民感覚が大事と言う人がいるがでは庶民感覚とは何か?一般人の感覚で政治をやれという事と捉えるがそれでは政治はできない。

特に国政となれば世界のトップとの闘いになる。お互いに国益を求めてやっている武力を行使しない戦争だ。そこで庶民感覚を持ってやったらあっという間に負けてしまうだろう。

大体が政治家の手足となって働く官僚も庶民とは思えない。東大や有名大学を卒業した人間は親の年収が1000万以上というのが当たり前。これが庶民か?

マスコミは世論誘導をやめるべき

マスコミが庶民感覚がないと報道するときはいくらの食事をしているだの些末なことがほとんど。金銭感覚がずれていると批判するが、そのマスコミの人たちの年収を公開することはない。自分たちの年収が公にされたら「マスコミこそ庶民感覚がない」という事が暴露されるからだ。とりあえず一般サラリーマンよりは相当いい給料をもらっている。

そのような人たちに批判する資格はない。そして自分たちの利益になるように世論を誘導するのは国賊そのものだ。

マスコミで信用できるのは訃報と事故とスポーツの結果のみだろう。「マスコミはそんなことはない!」、「マスコミは公権力の監視機関」と言われるが公権力の監視機関と言う割にはマスコミの監視機関はない。「国民が監視している」と言うが自分たちが世論誘導しているのだから監視の意味があるとは思えない。実質BPOも形骸化しているのが現状だ。

マスコミが信用できない今は情報を自分で取捨選択する能力が求められている時代は今ほどないだろう。ネットだけを鵜吞みにするのも問題だが、自分自身で考える能力も必要ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

トロ・ロッソホンダは期待できるのか?

ホンダは期待できるが…

来シーズンホンダはトロ・ロッソと組む。期待感はあるが年間のエンジンが4基から3基に減るのはかなり痛い。年間18戦として6戦は同じエンジンを使わなくてはならない。この条件をクリアして且つ最高のエンジンをと言うのはかなり壮大なチャレンジだ。1レース300キロのレースを6戦するとなると1800キロを持たせるエンジンを作らなければならない。単純に距離を持たせるのならエンジンブロックやその他の部品を頑丈にするというのも手だが、それだととてもレーシングエンジンとは言えないほど重くなってしまう。かといってカーボンやチタンなどをふんだんに使えばコストが膨大になる。FIAがコスト削減でエンジン数の制限を持ってきたが、これだとコストが上がってしまう。ただでさえターボや回生エネルギーなどでコストがかかるのに、FIAに思惑とは逆行している。

そもそもF1にハイブリッドは必要か?

ターボは必要だとしてもハイブリッドはF1に必要ではない。F1は純粋に速さを競う最高峰のレースであるべきだ。このような技術はスポーツカーかフォーミュラーEに任せておけばいい。今のF1は自動車メーカーのバックアップがないと参戦することも難しい。これを打開しないとF1は近い将来になくなるだろう。

トロ・ロッソホンダはどのくらいに行くか

予選でトップ10の常連になれれば大成功だろう。あとは荒れたレースでどれだけ上位に食い込むことができるかによって成績は変わってくる。ともかく必要なのは信頼性の一言に尽きる。壊れないエンジン、壊れないシャーシ、この融合こそが必要ではないか。

ホンダは正念場

2015年から参戦を再開して来年は4年目。そろそろ具体的な結果が欲しい所だ。いい加減に結果を残さないと株主からの突き上げも激しくなってくる。年間数百億の予算が必要なこのスポーツ、趣味や道楽でやるものではない。あくまでもホンダと言う企業のイメージアップにためにやっているものだ。だがこれまではイメージアップどころかイメージダウンになっていることは否めない。

これを打破するには結果を出すしかない。エンジン的には最強のメルセデスを脅かすくらいまでにはなってほしい。このままではホンダは技術力がないという事を世界に向けて発信したという不名誉な事だけが残ってしまう。これでは本田宗一郎氏も浮かばれない。世界のホンダという事をもう一度見せてほしい。